2007年12月25日

●メリークリスマス

見たかった景色。
幼い頃に焼きついた景色。
誰しもひとつは心の奥底の柔らかい場所に
持っているような景色がある。
それをもう一度みたくて、私たちは旅をするのだ。

遠くへ、もっと遠くへと。

ユースケからクリスマスカードが届いた。
そのカードは、ウェブサイトのサービスの一環で、
とあるファッションブランドの運営しているものだった。

メリークリスマスに始まり、
その後に彼が提示する、和やかな景色、
それからひとつの希望の光を添えて、結んである。

大して深く考えもせず、ユキオは
彼に幸あれ、と短く祈った。
それが自分にできることの全てだろうと思ったのだ。

文庫本はやけに水を吸うな。
ユキオは心の中で呟いた。
ひどい風邪をこの年末に引いてしまい、
そのとき以来、久しぶりにゆっくりと入浴した。
入浴しながら、昨日電話で勧められた本を読んだ。
ユキオは普段、入浴中に読む本は、単行本だ。
別に意識してなかったが、久しぶりに文庫本を読むと、
ページをめくる1枚が、次第に、
その1枚だけでは自立できないほどに
湯気で「ふにゃん」としてしまう姿を見て、
ユキオはその頼りなさを、自分でも意外なほどに
気に入っていることに気付いて、少し驚いた。

頼りなさと、形あるものが変形してしまう喪失感、
それに伴うほんのわずかな苛立ちがあり、
その手の平にすっぷりおさまってしまう、
いまにも溶けてなくなってしまいそうな、
小さな文字が密集した紙の塊によって、
自分の心が、いまや満たされつつあることが、
何ともいえずおかしく、そして、相応しいような気がして
嬉しいのだった。

昨日電話してくれた古い友人は、
その本のことを勧めるときに、
今のユキオであれば、すぐに分かるんじゃないかな
と言った。
電話で携帯電話の充電が切れるまで会話をしたのは
久しぶりだ。
かつて同じ場所にいた頃は、そんな風じゃなかった。
そう思うと、今にして何かが満ちてきたのかもしれないな、
と、読んだばかりの本の内容に感化された考えが
頭を巡ってしまう。
ユキオは、自分で思っているよりもずいぶんと単純な男であった。
そのことに彼自身が気づくまでは、もう少し、
時間がかかるようである。

ユースケにクリスマスカードの簡単な返事をし、
それから、トーストにジャムを塗って、珈琲で流しこむ間に、
これからのことを少し考えてみた。

「難しいことはよくわからない。ただ、」
「ただ?」
「うん。」
「これからは、思ったように振舞おうと思う」
「今までもそうしてきたんじゃないの?」
「うん、そのつもりだったんだけど、どうやら違ったみたい。」
「たとえば、」
「たとえば?」
「付き合っている彼女と街を歩いていて、いかにもつまんなそうにしていても、
僕はそのことに目をつむって、次のことを考えていた」
「そう」
「雰囲気変えて、仕切りなおせばなんとかなると思っていたんだ」
「違うの?」
「そう、違う。

ある日あるとき、それまで息づいていた関係が、
ふっと終わってしまうことって、あるんだ。

なぜだかわからないんだけど、終わってしまう。

そうなってしまうと、もうその日は、ゲームオーバー。
おとなしく帰ればいいものを、粘ってしまう。
その日のゲームオーバーを、まるでふたりのゲームオーバーみたいに感じて、
どうにかしようと、やっきになってしまう。
でもね。
ある日あるとき、ふっと終わってしまうことの理由を
知ってるかい?

「知らない」

うん、僕も知らないんだけど、
それは、なんだか素敵な現象であるような気がするんだ。

「わかんないな」

それは、人間が原始時代の動物的な感覚と
「つながっている」反応のひとつであるような気がする。だから、

「だから?」

その瞬間に立ち会えたことを、
その意味を、もっとよく考えてみたいと思うんだ。


「お大事に」


にやりと笑うと、ヴァンサン・ブリヤールをグラスに注ぎ、
カチンと小気味良い音を立てて、僕たちは乾杯する。

メリークリスマス。

「メリークリスマス」


posted by チキ at 21:06| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ポエマーもたまに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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